2002.11.10付紙面より
ただ今、第5次「いい女」成長期
「飛躍」という言葉が好きだ。宮沢りえ(29)。14歳の時に芸能界入りしてから、常に注目されてきた。衝撃的なヌード、恋の行方、母の存在、海外移住…。さまざまな経験や試練を重ね、今は「一生成長期」とさらりと語れる。昨年から活動の重点を映画に移し、女優としての輝きを完全に取り戻した。りえの熱演は「今自分はここにいるよ」と訴えかけている。
(写真=ごく自然な表情にもどこか深みがあった。インタビューを聞いていて女性には失礼かもしれないが「いい年のとり方をしているなあ」と感じた)
背中で演技輝きを増している。自由に空を羽ばたく鳥のように、伸び伸びと「女優」を楽しんでいる。ここ2年間で出演映画4本。香港映画「遊園驚夢」では、モスクワ映画祭最優秀主演女優賞も手にした。公開中の最新作「たそがれ清兵衛」(山田洋次監督)では、古風な中にも自分を主張できるヒロイン朋江を演じた。女優としての輝きは、演技にも現れている。「たそがれ−」の中で、りえは背中で泣かせる演技を見せている。藩命で果たし合いに行くことになった清兵衛に思いを寄せる朋江が「行かせたくない」と思いながらも見送るシーンだ。正座したりえが、肩やつま先をわずかに動かし、揺れる心を表現した。 「そう言ってくれると本当にうれしいなあ〜。(胸のあたりを手で押さえて)ここがキューンと震えていたことは覚えているんですが、そう見えたのは計算でも何でもないんです」。 共演者にはその場面について「筋肉の演技をしているね」とも言われた。 「演技って自分がどれだけその役になれたかっていう錯覚だと思うんです。その錯覚をどれだけ盛り上げられるか。無理やり心を震わせようとしても、なかなかできることじゃない。だから、そういう瞬間を感じられると『ラッキー!』って思えるんです」。 同映画は「男はつらいよ」「幸福の黄色いハンカチ」などで知られる名匠山田洋次監督(71)が77作目にして初めて挑んだ時代劇だ。山田監督は、うそのない生活臭のあるリアルな時代劇を追求した。 「山田洋次監督ってパンクだと思います。今までの時代劇の在り方を根底から考え直して、疑問や抵抗を素直にぶつける。時代劇を長年撮ってきたスタッフともすごいディスカッションをする。あれだけの方なのに、自分の不安も隠さず素直に出す。逆に強い方なんだなと思う。純粋で格好いいなと思いました」。 映画を、演技を語るりえの表情も輝いた。
修羅場抜けリハウス娘でデビューした。初々しい笑顔が印象的だった。それから15年。衝撃的だったヌード写真集の出版など、挑戦的な仕事ぶりはもちろん、恋愛の行方でも注目され続けてきた。その視線はすべてが温かいものでもなかった。「見られることに異常に敏感になっていた」という時期。憶測が憶測を呼んだ激ヤセ報道が、女性週刊誌やワイドショーをにぎわせた。傷ついた心を癒やすように、生活の場を海外に求めた時期もあった。今からは想像できないが、一時は女優生命の危機とまで報じられた。いくつかの修羅場をかいくぐって、りえはスクリーンに帰ってきたのだ。 「私は一生成長期といつも思っています。今は第5次成長期ぐらいかな(笑い)。だって、出会えた人の数や、訪れた場所、経験した時間は、悪いけど10代の子には負けないよって思う。それは嫌なこともあったけど、1年、2年はともかく、一生は続かない。嫌な瞬間を、瞬時にこれはいいことなんだとは思えないけど、そういう瞬間があったからこそ見えてくるものもいっぱいある。そういうことを含めて今の私を作っているのかなと思います」。 そんなりえを支えたのが母・光子さんだった。「私のせいでいろいろなことがあったと思うけど、それでも健やかでいてくれることに感謝しています」とりえは素直に語る。
ママを尊敬14歳でデビューして以来、次々と話題をさらうりえをプロデューサーとして支えた光子さんは、マスコミから「りえママ」と呼ばれ、当時、ステージママの象徴ともいわれた。「母は『コントロールされているのは自分の方よ』なんて言ってますよ(笑い)。母は相手が偉いか偉くないかということで絶対に態度の変わらない人。どんな人と会う時も黒のTシャツですし、それは格好いいと思います。いろんな経験をして、遠回りもしただろうし、それを経験した上でどんな人に対しても自分は変わらず接することができる。繕ったりせず、まっすぐな人。尊敬してますし、敬愛してます」。 母からは多くのことを教わった。その1つが「たとえ芸能界を離れても1人の女性としてどこにでもいられる人にならなければいけない」。言葉ではなく、一緒に過ごして空気で感じたという。 「女優という服を脱いだ時も、豊かで美しい心や体でいられるということだと思います。とにかく母は強い女性です。私なんかまだまだです」。 「たそがれ−」では、恋と家族愛も描く。朋江は武家の娘に育ちながら、身分も低く、子持ちの武士清兵衛に嫁ぐことを決意する。子供たちは凛(りん)とした中に、しんの強さを持った朋江を慕い、感謝しながら立派に成長していく。りえが演じた「母」。きっと、それは錯覚ではない。
シワも自慢来年、30代を迎える。女優として、外見の美しさ、かわいらしさだけではない、今までとは違うものも求められる。女性としては、一般的に、自らの幸せをあらためて考える時期だ。「たそがれ−」では「何が自分にとって幸せなのか」と心を揺らしながらも純粋な愛を貫き、最後は心温まる結末を迎える。「私にとっての幸せ? う〜ん、幸せって言葉を考えたのは久しぶり。幸せって自分から期待したら絶対逃げていくような気がします。思いがけずやってくるものかも。自分が穏やかな気持ちになれる瞬間に幸せを感じますね。恋愛もそうです。仕事をしていてもそうです。撮影で本番が終わった後の、緊張の糸が切れた開放感って穏やかなんですよ、かなり(笑い)。幸せについて、変にガチガチの価値観は持ちたくないし、本当にフニャフニャでどんどん変化していくのもいいなと思ってます」。 「幸せ」同様、美についても固定された価値観に縛られない。おしりが垂れることが老化だとは思わない、という。
細胞の交換「それも成長のうちかもしれない、って思うんです。シワが増えることが、年を取るということじゃなくて、成長しているって私は考える。シワなんか気にしていたらばかばかしいなって。だってそう考えたら、これからどんどんつまらなくなっていくだけじゃないですか(笑い)。100歳になったら100本ぐらいのシワができるんでしょ? その時に『100本シワができたぜ』って言えるような気持ちでいたい」。最近、雑誌の取材で恋愛について「結婚という言葉にキューンとこない。幸せを形にすることにこだわらない」と答えた。 「はんこを押して名前を書いて、さあ私たちはこれからずっと一緒にいますよという確認なんかしなくてもいいということ。気が付いたらずっと一緒にいたね、と思える人がいてくれたらそれで十分です。指輪の交換をするよりも、細胞1個を交換したいなと思う(笑い)。相手の細胞を自分に入れて、自分の細胞を相手に入れる。市役所で細胞交換ができたら、私結婚しているかもしれません。そういうのすてきです」。
ここにいるりえは「飛躍」という言葉が好きだという。92年の映画「豪姫」の出会い以来“父”と慕った故勅使河原宏監督(享年74)から「人間は飛躍することが大切」と言われたからだ。「私は今自分がここにいるよ、ということを表現するために女優をしています。違う表現の仕方があったらそちらに移るかもしれませんが、今は演じることがどんどん深く面白くなってきているので当分続けたい。でも、女優としてよくなるために何かをするのではなくて、いい女であるためにした何かが、女優にとってすてきなことだったと言いたい」。 ある時期、自分の居場所を見失いかけたからこそ語れる「女優論」は、輝く演技で実践されている。
自分の言葉持った女優山田洋次監督(46) 撮影現場でも打ち合わせでも、こちらの演出意図をすぐに理解してくれる。そしてその意図を演技にきちんと反映させる。素晴らしい資質を持った女優さんです。自分の考えを自分の言葉で語ることができる賢さも持っている。最近はそういう女優さんが少なくなりました。
◆宮沢(みやざわ)りえ 1973年(昭和48年)4月6日、東京生まれ。87年「三井のリハウス」のCMで芸能界デビュー。一躍脚光を浴びる。88年「ぼくらの七日間戦争」で映画主演デビュー。90年発売のカレンダーで「ふんどしルック」を披露。91年には写真集「Santa Fe」(篠山紀信撮影)でオールヌードにもなり世間を驚かせた。92年に貴花田(現横綱貴乃花)と婚約するが解消。95年フジテレビ「北の国から 95秘密」などに出演。96年に渡米して以降ロスで4年間を過ごす。99年NHK大河ドラマ「元禄繚乱」に出演。01年「釣りバカ日誌」で6年ぶりに映画出演。以後「うつつ」「遊園驚夢」に出演。162センチ。血液型B。 ◆「たそがれ清兵衛」 妻に先立たれた下級武士清兵衛。2人の娘と母を養うが生活は貧しい。幼なじみの武家の娘朋江が横暴な夫と離縁したと聞く。藩命で果たし合いをすることになり、その前夜、清兵衛は朋江を呼び出す
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